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顔面について

バカだから、自分の顔がどれくらいかっこいいのか・どれくらいかっこよくないのかがいまひとつ分かってない。自分はクッソ不細工だというのは弁えているつもりだし、自分が写ってる写真を見て「きめ〜〜〜〜!!!!」と思うこともあるけど、自分の顔について結局そのぐらいしか知らない。中学のとき「この人俺に顔が似てるな~笑」と勝手に思ってた人が学年で最もかっこいいとされてる男だったことがある。このエピソードははじめて話したので重み(キモさ)を受け取ってほしいな。

走るのを一ヶ月以上継続できているのが自分でも意外だ。ただ最近は調子がよくなくて、25分ぐらい走ると膝に痛みを感じるので、そうなる前に走るのをやめて歩いて家まで帰ることにしている。そうしてトボトボ歩いていると過去の恥ずかしかったこと悔しかったこと申し訳なかったことなどの記憶が無限にフラッシュバックしてきて、それを振り払うために突発的に走りだし、もちろん膝が痛むのですぐに速度を緩めて後方に誰もいないか確認する。そういうことを毎日やっているのは、ださいことだ。汗が蒸発して体温を奪う。最近また寒い。家の近所で駐車場の壁にもたれかかり、漠然と上の方を見てたのだが、「顔がきもいやつがそんなことするなよ恥ずかしい」という心の声が聞こえてきてやめてしまった。ほんとうにどうしようもない脳みそなのか、あるいは顔なのか。どちらのこともよく分かっていないし、単に寒かったということにしておきたい。

 

学校で「卒業生を送る会」が催され、ひさびさに学校に行ったが、壇上が知らない人で埋め尽くされているのをずっと観てなきゃいけないという状況にすごく疲れた。俺は「送られていない」んだな、などとありきたりながら思ったことを書いておく。俺は去年そこの舞台に立ってMCやったんだぞなめるな死ぬからここから出せおい。別にそんなことはどうでもいいんだよ。

感動のスライドショーの序盤に俺の顔が写り込んでいてうろたえた。宿泊オリエンテーション(新入生の親睦を深めるために足柄に3日だかみんなで泊まる行事)のころの自分は「この学校でなんとかなってやろう」と思って係のチーフをやったりしていて、かなり無理がある笑顔を浮かべて変な角度のピースをしていた。中学時代に「無表情は見てらんないな」ということを悟ってけっこう頑張ったつもりだったのだが、ぜんぜん気持ち悪かった。みんなもそう思っただろうなと思う。「おっ、まだ感情がある頃じゃん笑」とか言ってひとウケしておいた。感情は今もあるのに適当なことを言ったなと反省している。

 

目を合わせて会話するぞとか頑張ってた時期があったけど、その様子を写真や映像で見せられるとやっぱり気持ち悪くてダメになってしまった。自分の見た目が気持ち悪い可能性があるのに誰かに対して恋愛感情を表に出してしまうのはダメなんじゃないか、とか思うのは不自然なことだろうか。いやまあそもそもそういうことのきっかけすら無かったけど。恋愛やってる奴全員意味がわからない。自然に振る舞える人がうらやましい。なんなんだ。セックスすんなバーカ。

顔が適当に整っていればと思うことが多々ある。ロックやパンクみたいな何か反抗的な文化を担ってる人で顔がかっこ悪い人ってほとんどいなくて、「そうやって、顔がかっこいいから偉そうなこと言ってられるんじゃないのか」とか思ってしまう。のび太くんはジャイアンスネ夫より顔が整っているからしずかちゃんと結婚できたんじゃないのかとか。そんなことないかな。

 

「見た目は内面の一番外側」とか「人は見た目が9割」みたいな考え方が世間に完全にウケて、「人間は見た目によらぬもの」みたいな考え方は完全に乗り越えられたっぽい。「内面が大事というのは真実だが、その判断材料として適切なのは言動よりも見た目だ」。「見た目というのは日々の積み重ねで誤魔化しが効かないものだから」。「あなたという人間の判断材料が見た目である以上、そこに力を注いだ方がいい」。

クソ正しいんだろうけど、「顔のパーツやその配置」みたいな本人ではどうしようもないものがある、ということを無視した物言いに勝手にむかついている。そういうことじゃないのは分かっているけど書きたいから書く。

俺がめっちゃ痩せて最大限におしゃれをしたとして「オタクがイキってるや笑」以上の印象になるとは思えない。「顔面がクソだという自覚があるからやらなかったこと」とか「顔面で他人に判断されて俺の行動が制限された経験」とか、かなりある。顔なんてものは自分じゃどうにもできないのだから、そんなもの完全に無視して自分や他人のことを考えられたらよい。みんな顔をのこぎりで切って捨てよう。

服装で自己表現できるレベルの顔面がない。顔面にうんこが塗ってあるんじゃねえかみたいな意識で毎日生きてる。うんこを屋外に持ち出し、うんこを電車に持ち込む。うんこを友達に見せびらかす。自分の代わりにうんこを喋らせる。汚いものを見せているのはめちゃくちゃ失礼な気がするが、「自分でもよく分からないけどもしかしたらうんこかもしれないものを見せてしまい、まことに申し訳ない」という気持ちを表す手段がないし、わざわざそんなことをやると不愉快だ。きちがいだと思われたくない。自分の顔を常に確認したいのは、自分の見た目が今どんなふうになっているか見当もつかないから。ホッとしたい。なかなかできない。

 

こないだ小学校や中学校の思い出の品々を引っ張り出していたら、「あなたはどんな人間になりたいですか?」と書いてある紙が出てきた。かなり思い入れのある小5のときの担任が書いてくれた俺の手紙への返信だったが、これはもう全然わからない。俺は人からの見られ方だけなんとかなればいいと思ってしまっているんじゃないのか、何かになろうとしないから何からも抜け出せないんじゃないのか。顔面がゴミだから何にもなれない、なんて考えてしまっているがそんなのダメなんじゃないのか。死ぬまできめえ顔面ぶら下げて生きていくしかないんだ。きめえのかもよく分からない顔。せめて、見慣れていない状態の他人から見て自分の顔がどういう風なのか一度見ることができたらいいのに。

他人と接触する機会がほしい。慣れたい。試行回数を増やしたい。行動する勇気がなさすぎるし、その原因を見た目や挙動に結びつけて逃げる行為が誠実じゃないというのも薄々感づいてはいる。でもやっぱり顔は気持ち悪いのは、どうしたらいいんだ。最近では大人というか"師(し)"みたいなものと出会えればなにか変わるんじゃないかと思っているんだけど、身動きがとれない。

とにかく、浪人生として過ごすことになったので、誰か暇な人がいたら遊んでほしいです。お願いします。俺なりにコミュニケーションを頑張ります。痩せる努力をしています。けっこう陽気に振る舞えると思います。知らないけど。言い訳がましくなったのでおわりです。アレな記事だけど読んでくれてありがとうね。

(おわり)